経営における「意図」と「成否」の関係

我国における経営学研究の牙城のひとつに、一橋大学がある。ここに、沼上幹という巨魁がいて、すぐれた業績を残している。

 

彼の業績は多いが、なかでも経営者の「意図」についての考察は、着眼点もさることながら、その論考の精緻さにおいて、独自の領域を築いている。

 

彼よりも少し若いが、楠木建という教授もユニークな存在となっている。著書『ストーリーとしての経営戦略』は、一般ビジネス界でもよく読まれて異例のベストセラー入りを果し、彼の人気も沸騰した。

 

内外の有名企業の実例を巧みな文体で織り込みながら、「ストーリー」という新しいネーミングで整理したこともさることながら、自身の薄毛の自虐ネタや趣味のオヤジバンドを臆面もなくブログで公開するなど、従来の生真面目な学者路線とは一線を画した生態が話題を呼んで、いまも一般向けの講演会では引っ張り凧の人気者となっている。(客寄せパンダ役と割り切っているんでしょうな)

 

沼上の代表作の1つに、『行為の経営学ーー経営学における意図せざる結果の探究』がある。

ここで彼は、経営における結果が、必ずしも経営者が当初に意図したものでなかったケースについて、「意図せざる結果」という概念で、詳しい論考を重ねている。

 

一方で、“楠木経営学” の白眉は、「キラーパス」という用語で表現される概念である。

これは、ある新規性の濃い戦略について、競合他社による模倣を抑止しうる「効果的な打ち手」である。

 

なぜ、競合他社が模倣をしないのか? なぜ模倣防止に「効果的」なのか?

 

それは、従来の業界常識から見て、まったくもって「大失敗」な打ち手であるからだ。

これを、楠木は「一見して非合理」と呼んでいる。

 

実例として、スターバックスコーヒーが、オーダーを受けてから実際にコーヒーを提供するまで、ゆっくりゆっくりと時間をかけるオペレーションを挙げる。時間のない、急ぐ客を排除して、「ゆったりした空間の提供」という理念を実現するためという。

 

このように、売上や利益よりも理念を優先するために、早期に経営拡大可能なフランチャイズ方式を採用せず、全店舗を直営としたことも、競合相手から見ると、「大失敗」に写る。

 

しかし、「急がないオペレーション」も「直営方式」も、スタバからすれば「故意にやっていること」である。そのことに気づかない競合他社は、「スタバは出てくるのが遅い」「食事が不味い」といって失敗だと烙印を押す。失敗と判断するから、その箇所は当然だが真似しない。

 

そのことが、スタバのエッジを逆に明確にして、お客から支持を集めることになる。

 

さて、沼上理論の「意図した」「意図せざる」という枠組を用いる際には、それが「成功したのか」「失敗したのか」という「成否」とどういう関係になるのか? が常に問題になる。

 

ところが、この「意図」と「成否」について、明確に整理された枠組は、従来の経営学ではあまり出てこなかったように思う。

 

そこで、冒頭のマトリックスのように整理してみた。

これを沼上楠木マトリックスなどと命名しては、両大家にはさぞご迷惑なことだと思われるが、かといって、各家元のお名前を明示せずには、却ってご無礼にあたるというものである。

 

意図した通りに成功したら、それはもう、「御の字」であろう。

世の中には、成功したけれども、それは当初考えていたのとは異なる形、つまり、「意図せざる(形での)成功」というものもあるかもしれない。そういう時には、島津製作所の田中先生のノーベル賞研究ではないが、「瓢箪から駒」といえるだろう。(田中先生のようにあっけらかんと自認できる経営者は少ないとは思うが)

 

反対に、成功しようと思ってやった結果が失敗だったというケースも、実際にはよくあるというよりも、これが殆どかもしれない。それは「思惑が外れました」と素直に認めよう。

 

最後に、「わざと失敗した」ということは、普通に考えればあり得ないことである。

しかし、ここで「キラーパス」の概念をもってくれば、敵を欺くために「意図した失敗」(実際には「失敗に見せた成功」なのだが)をすることもあるということになる。

 

トランプ大統領の用語でいえば、「フェイク」である。

マトリックスに表示するには、「フェイク」のほうがキャッチーでわかりやすいかもしれない。しかし、発案者に敬意を表して「一見非合理」としておいた。