· 

宦官の遠吠えにならないために

こちらは今朝の日経新聞です。

日立が3万人いる全社員を、「全面的に」ジョブ型雇用に移行するそうです。

 

これをいつから実施するのか、開始日の記載がないのは記事としては完成度が低いのですが、それよりも休日の一面トップで抜きたかったということでしょう。

 

最近の日立には、日本の大手大企業らしからぬ思い切った施策が目立ちます。かの名経営者・川村隆さんから、明らかにトップマネジメントの質が一新しました。

 

「トップマネジメントの質」とは、広範かつ複雑な内容を捨象してしまえば、ラストパーソン性ということになります。

 

自分の後ろには誰もいない。ここで自分が辛い決断をしなければ、部隊全員を失うことになるーーそういう立場に対する自認度と、そこから発出する命令の精度、この2つの水準値といえます。

 

一般論として、新卒一括採用を廃止して、社外からの中途補充にすべて転換するならば、その効果は極めて大きいと思います。反対に、徐々に移行するけれども当面は新卒一括採用も継続する、というありがちな激変緩和措置のような進め方では、効果の発現は遅くなります。

 

優れた意思決定には、様子を見ない、長く検討しない、妥協しない、の3点が重要です。

 

状況を観察するのは必要ですが、日頃から問題意識があれば重要な情報は常にトップの元に届いているはずです。どのような作戦を選択すべきかについても、戦時においては短時間で結論を出さなくてはなりません。

 

そして、大きな決断は「1か0か」であり、足して2で割るようなどっちつかずの方策には、部隊を全滅させる危険が伴います。

 

日本の大企業の大半を占めるサラリーマン経営者で、これができる人はほんの一握りです。

 

従業員の雇用形態を今後どうしたらいいのかという、古くて新しく、重要で緊急性がなさそうに見える論点については、多くの大企業では「様子を見る」「じっくり検討する」「現制度の枠内で新たな方向を展望する」という態度になっています。

 

要するに、「決めない」と宣言しているのです。

 

意思決定しない指揮官についていく部下がいるのかと、他人事(ひとごと)ながら心配になります。

だから、決める企業との格差はどんどん開いていくでしょう。

 

もっとも、日本の産業界ではいまだに多くの業種で同質競争が残存しており、業界で5位、10位などという企業が東証1部だのプライムだのと呑気な格付ばかりに御執心です。

 

毎年開催される業界団体の親睦旅行で、競合他社の人たちと仲良く温泉大浴場に浸かるのが楽しくて仕方のない構図です。(茹で蛙などという小さい話ではありません)

 

ジョブ型雇用に戻りますと、新卒一括採用の廃止と並んで必要なことは、適性による解雇の解禁です。解雇三原則の撤廃による人材の流動性をネイションワイドにしないと、この国の産業社会の根本は変わりません。

 

適性がない従業員も解雇できないので、ほかの職種や異なる企業文化だったら開花するかもしれない有為の人材が、大企業の中に山のように退蔵されています。

 

鈍感な人でも40歳くらいまでには、自分がこの会社で出世できるかどうかわかります。

しかし、他社へ行っても中途差別があるし、まして中小企業なんて行きたくないという思いが強いので、定年まで20数年もの長期にわたって、当たり障りのない社畜人生を送ります。

 

社会的には実にもったいないことが、日本中で発生しています。

多くの識者によって指摘され、労働経済学者は計量的な手法により労働者の流動性が社会的厚生を有意に高めることを実証しています。

 

しかし、日本では労働組合は大企業の正規社員の現状維持が目的化し、「リベラル」野党は例によって「解雇法案」などとレッテルを貼り付けて反対することは目に見えています。

 

コロナ病床も増やせないのに、そんな隘路を通そうとする政権があるとも思えません。つまり、企業経営者は政治に頼らずに、自分で実行しなければなりません。

 

評論家のことを称して、「弾の飛んでこないところから言ってるだけ」ということがあります。まさにその通りですが、問題は、民間企業の社内にも評論家が増殖しているだけでなく、大企業のトップにも多くなっていることです。

 

負け犬の遠吠えといいますが、負け犬は勝負に挑んで負けたのですから、最初から勝負の舞台に立たない宦官よりも数段マシです。戦った勇気を称賛せねばなりません。

 

斯く言う本欄も、単に論評するのではなく、その言説の信憑性を自らの実業活動で証明する「唱道実践合一」の一年にしたいと念じています。