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鈴木大拙を読む

鈴木大拙です。

十余年に及ぶ在米中に、外国人に向けて英語で書かれた著作 Zen Buddhism and its Influence on Japanese Culture (1938) の日本語翻訳版です。

 

昭和15(1940)年に発行されて以来、2021年8月の印刷版で93刷という超ロングセラーとなっています。

 

企業収益と消費者の便益に加え、将来も含む地球環境にも親和的な新しい資本主義のあり方を考えるには、古(いにしえ)の賢人たちの知恵を借りることが必須となります。

 

そこで、東西の先哲を紐解きます。今日は禅について読みました。

 

気になって抜き書きした箇所を順に引用していくことにします。(岩波新書・赤版、北川桃雄訳による)

 

禅の鍛錬法

真理がどんなものであろうと、身をもって体験することであり、知的作用や体系的な学説に訴えぬということである。(7頁)

 

言葉

言葉は科学と哲学には要るが、禅の場合には妨げとなる。言葉は実体そのものではない。実体こそ禅において最も高く評価されるものなのである。(8頁)

 

知識

大略すれば知識には三種ある。

第一は、読んだり聞いたりすることによってうるものである。

第二は、科学的と普通言われているもので、観察と実験・分析と推理の結果である。

第三は、直覚的な理解の方法によって達せられるものである。最も能率的に危機に応じ能うのである。禅が呼びさままさんとするのはこの第三の形態の知識であって、われわれの存在の深いところから出てくるものなのである。(9頁)

 

刀の務め

一は、持主の意思に反するいかなるものをも、破壊すること。

文殊菩薩の聖なる剣は、われわれ自身の貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡(ぐち)を殺すためである。(引用者註:瞋恚は怒りや憎しみ、妬みなどの感情。愚癡とは無知のこと)(63頁)

 

沢庵の不動智神妙録

賢い人は智力のかぎりを尽くしているから、もはやそれに頼らない。

「生ま知り」(ハーフ・ナレジ←ママ)の人にかぎって、頭を分別でいっぱいにする。(74頁)

 

沢庵(続)

仏法にては、此の止りて物に心の残ることを、嫌ひ申し候。故に止るを煩悩と申し候。(75頁)

 

無心

剣道の最後の段階には奥義がある。腕の熟達だけではまだ弟子気分を超えない。(86頁)

 

千利久の教え

茶の目的は小規模ながらこの世に清浄無垢の仏土を実現し、一時的の集り、少数の人ながら、ここに理想社会をつくることだ(135頁)

 

臨済の悟り

無意識は蓄積された知識の宝庫ではなくて、涸れることを知らぬ生の源泉である(160頁)

 

・・・とここまで読んでくると、鈴木大拙の言う無意識とは、野中郁次郎・竹内弘高の模式図に言う暗黙知のことに通じているように思えてきます。