先日の「ラディカル版」のほうが正論なのですが、それだと少数の共感者だけが隠遁を選び、共感しない多数が相変わらず跳梁跋扈することになり、結局世の中は変わらずに共感者に何のメリットもないことになります。
そこで、内容としては穏当で面白くないのですが、共感して実行した人から有効性を実感できる方策を今回提案します。
戦後日本の焼け跡からは、松下幸之助、盛田昭雄、本田宗一郎をはじめとする多くの起業家が立ち上がり、イノベーションを起こして世界を席巻しました。
こうしたイノベーターの出現確率は低くても、母数を増やすことで、結果としてイノベーションの発生数は確保できるはずでした。
ところが、実際にはそうはいかずに、「失われた30年」になってしまいました。
何故でしょうか?
それは、大企業の経営者が「安住」を選んだからです。
戦後の段階で、当時の大企業が属していた鉄鋼や銀行といった成熟産業においては、やるべきことが決まりきっていたので、未知の世界に挑戦する精神や大胆な決断力は不要で、その代わりに安定感と組織力が求められました。
問題なのは、すべての産業の大企業が、そのような旧国営企業や旧財閥企業の姿を真似てしまったことです。
日本中の企業経営者が、「安定した大企業の経営者」になることを望んだのです。
戦後の「民主化」によって、出自に関係なく一般庶民でも大企業の社長になれると知って、みんな目指しました。
激しい出世競争を勝ち抜いて頂点を射止めた経営者らは、その地位に安住を求めました。
企業の経営者は、お上には従うのに、社内ではお殿様になりました。
昭和期なのに、幕藩体制に逆戻りしてしまったのです。
お上とは、幕府が監督官庁になっただけです。
おおぜいの忠臣に囲まれ、権勢を振るえるお殿様の立場をみすみす手放す者はいません。
そのうえ、退任後も余生をずっと同じ会社で過ごすようになりました。
その地位の継続が唯一最大の目的になった以上、リスクを伴う意思決定など行うはずはありません。
もはや市場で勝つことが目的ではなくなっているので、業界の中下位に甘んじても自己の地位の存続さえ実現できれば、むやみな賭けに出る必要はありません。
つまり、経営者自らがイノベーションを否定したといえます。
2期4年の短期間で地位を仲間内でたらいまわしにすることは、決して牙を剥かない子飼いを指名することによって、社長退任後も地位・個室・秘書・社用車・報酬の五大利権に長期間寄生することができました。
こうして、社会から隔絶した伏魔殿に、部内者だけで気持ちよくすごす共同浴場型の別世界を構築しました。
実はその間にも、稲盛和夫、永守重信、柳井正、孫正義など、かつて終戦直後に出現したような個性的なイノベーターも現われたのも事実です。
しかし、彼らのめざましい成長を目にしても、サラリーマン経営者たちが羨望の眼差しを向けることはありませんでした。
それどころか、創業者の鶴の一声に従うような集団は前近代的であり、未開地の酋長のごとき独断専行の経営とは無縁であると、逆に優越感に浸ってしまったのです。
のちに厳格化されていく上場企業に対するガバナンス強化の動きも、少々の反対を押し切って革新的な意思決定をするよりも、余計なことは何もしない企業の評価を高める逆効果を生み出しました。
こうして、本来なら常にイノベーションが求められるはずの産業分野においてさえ、前例踏襲で無難に徹する職業経営者に支配された大企業の官僚化が浸透しました。
これこそが「失われた30年」なるものの構造的な真因といえます。
では、我国の将来へ向けてどのようにすればいいのでしょうか。
「失われた30年」を形成した基盤においては、構造と文化が一体不可分に凝着しています。
ここで構造だけを議論して手を加えても、形式のみ整えて換骨奪胎を図る企業内テクノクラートたちの自己権益確保の執念の前には無力であることは、今次の東証改革でも証明されたばかりです。
文化の解体(アンラーニング)が必須となる理由です。
企業経営者の安住思考の基盤となる文化面に斬り込む手法として、農業に学んでみます。
既存の農地に新たな作物を植えるには、その作物に適した土壌に作り直す必要がありますが、肥料や灌漑による土壌改良には限界があります。
そこで客土の手法が採用されます。
まったく外部から相応しい土壌を大量に移入する手法です。
解雇三原則の見直しを求める声は多いですが、雇用法制の大転換にはさらに10年単位の時間がかかり、現実的な即効性に欠けます。
そこで、日本企業が当然のように実施しているものの、国際的には例外的な慣行である「新卒一括採用」の廃止から着手するのが現実的でしょう。
何も技能のない若者を大量に一括採用する目的は、実は幕藩体制の維持でした。
命令1つでどんな任務や任地にも就かせることができる下級武士を大量に集めていたのは、社業の現状維持すなわちお殿様の安定が目的だったのです。
大量の下級武士を養う必要がなくなれば、イノベーションに必要な専門技術者を積極的に採用する余地が大規模に創出できます。
一例として「32歳一括採用」に転換すれば、他の企業で大卒後10年間の実務上の成果を判断材料にして、脂の乗り始める若き幹部候補を大量に採用できることになります。
人生で何を成し遂げたいのか自分自身ですらわかっていない学生を、大学のサークル活動や居酒屋でのアルバイト経験などを基に選抜していたガラパゴス型新卒採用に決別するのです。
社会人としての実績が証明された上に、本人の目的意識の強さが確認できる32歳一括採用に成功する企業が出ると、横並び志向の産業界ではすぐに同調する企業が続出するでしょう。
こうなると中途入社社員が本流になって、生え抜き社員のほうがアウェーになります。
企業内は多様なバックグラウンドの集団になり、共同浴場型文化は早晩解消し、イノベーションをどのように実現するかという本質的な議論が日々戦わされることになります。
新卒一括採用の廃止には、副産物も2つ期待できます。
1つめは、大学生の青田刈りが沈静化して、学生は過度な就職活動に時間を取られることなく、じっくりと勉学に励むことができるようになります。
2つめは企業側のメリットです。ジョブ型採用への転換を進めながら新卒一括採用を継続すると、新卒学生の希望職種が「企画」や「マーケティング」といったイメージ先行の職種に集中してしまう傾向にありますが、こうした齟齬を解消する効果が出てきます。
入社後10年で転職市場に打って出るには、地味な部署でも数字に残る実績を上げることが望ましくなり、学卒直後であれば製造部門や営業部門のほうを選択する者も増加するはずです。
なお、新卒一括採用を中止すると、社内に下級武士が不足する状況になります。
そこで、経過措置として、早期退職の勧奨対象になるような中高年社員に現場の最前線に復帰してもらいます。
職位が下がっても、慣れ親しんだ企業内で安心して定年を迎えることができる人事は、意外にも歓迎されるはずです。
こうして土壌の多様化が進んだら、次の方策は、幹部昇進に多様性の確保を義務付けることです。
「男性・生え抜き・日本人」が幹部に就任できる上限数値を設定します。
その際、現在多くの上場企業において女性役員の任用で用いられている手法ですが、「ダイバーシティ推進担当役員」などと称して、本業の遂行に直接無関係な役職を新設して女性を据えるような弥縫策は、あらかじめ封じておく必要があります。
当該企業の本流と言われる事業部門を自ら管掌する役員や幹部に「非男性または非日本人」が就任し、そうした役員や幹部の直属の部下の人数合計が全従業員数の過半数を占めることなど、実体を伴った任用基準を設けます。
以上の方法論の妙味は、外部から強制される統制規準が、長期的かつ本質的な目的の達成のための組織文化の刷新の手段であることです。
他方、その方向に舵を切る辛い判断を下す経営者本人(1名のみ)には、意中の後継者指名(1回限り)と退任後も社内で旧来型の余生(1代限り)を送ることを特別に容認します。
大企業経営者の意思決定に潜む影の現実に即して、個人に対する逃げ道を用意することで実現可能性を高めているところが、本案の味噌ということになります。