ロンドンに降り立つのに、ヒースローでもガトウィックでもなく、よりによってスタンステッドとは新聞を読んで驚きました。
我国の国力が衰退しているとはいえ、英王室と友好関係にあると喧伝される我が皇室の専用機が割り当てられたのが、片田舎のペンペン草の大地とは。
ヒースロー、ガトウィックは羽田、成田です。そのどっちかというのが通り相場ですが、スタンステッドは、茨城空港です。
かつて冷戦時に、ソ連空軍のレフチェンコが突如として日本の制空権をあざ笑うように函館空港に強硬着陸したあとに、米軍と一緒にミグ25戦闘機を解体するために運んだ先が百里基地でした。
いまは官民共用の茨城空港になっているのですが、東京都心からの遠さで言ったら、そんなところです。
これはですね、よそのブログや、知ったかぶりの「専門家」のサイトやコメントとは違いまして、スタンステッド空港を利用した張本人として申しておるわけです。
1994年の秋に、ロンドンからフィレンツェに出張する用事がありまして。
当時はまだLCCという概念が出てくる前でしたので、ロンドン⇔フィレンツェというローカル線も、BA(英国航空)の直営だったか100%子会社の運航だったか忘れましたが、機体には堂々とBAのペイントが施されていました。
機体は、英国の誇るリージョナル航空機ATR42でした。名機であります。
本題に戻りますと、当時のロンドン都心とスタンステッド空港との交通は、いまのように直接鉄道で便利なようにはなっていませんでした。同行者に、ややお年を召された方もあった関係で、宿泊先のSAVOYの車寄せから一路タクシーで参りました。
といっても、御多分に漏れぬロンドンタクシーですから、日本の個人タクシーのようにクラウンでもロイヤルサルーンのような上質な車両など走ってません。往年の日産ディーゼル製の例の車体です。
これ以上硬いシートはないという、腰痛持ちには格段のご配慮が行き届いた座面です。
距離はだいたい50キロなので、日比谷近辺からから厚木基地か横田基地に行く感じですかね。
たっぷり約50分、砂ぼこりのハイウェイに揺られました。
英国なのに、西部開拓史の駅馬車のような窓外の光景と雰囲気を、嫌というほど味わわされました。
そこを指定するとは、英国政府もなかなかやるなと。
友好国の政府専用機を羽田ではなく、田舎空港に割り振るという決断は、政治家も行政官も小心者揃いの弊国ではできない判断でしょうねえ。